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新撰組 松下村塾 十二単 白拍子 正倉院 生類憐みの令 七難八苦 十七条憲法 呪 詛 浄土真宗 賤ヶ岳の七本槍 儒 学 辞世の句 陣 形 陣触れ 殿 軍 壬申の乱 島原の乱 承久の乱 守護・地頭 鹿ケ谷の陰謀 |
『 新撰組 』 |
幕末には欠かせない「人斬り集団」のこと 1862年に江戸幕府は、将軍家茂が京都に行くことになった時 危ないからってことで、江戸で武芸の優れた人たちを募集した ソコに集まった人たちが、京都に行き「新撰組」を結成する 局長は近藤勇 幕末を語るに欠かせない有名人をたくさん出しました 土方歳三・沖田総司などなど |
『 松下村塾 』 |
幕末 最初は吉田松陰が近所の子供達に教えていた塾 が、兵学の講義を始めたところ、受講希望者が増えまくった 松陰の教え方はマンツーマンだったので大人気に この塾の出身者は高杉晋作・久坂玄瑞・前原一誠・入江九一・ 伊藤博文・山県有朋・品川弥二郎などなど、幕末には欠かせない有名人がわんさか |
『 十二単 』 |
平安時代の高貴な女性が着ていためちゃくちゃ重たい着物 最近では皇太子殿下雅子さんが、結婚式の時に着てました あの時代は寒いので、男性が夜這いにやってきたとき 「即席ベット」にもなりました |
『 白拍子 』 |
平安時代に出没した男のカッコをして唄い踊る女性 ぶっちゃけ「ホステス」 ケースバイケースで夜のお相手もOK のちに白拍子は遊女とかに代わっていく 有名な白拍子は義経の彼女「静御前」 |
『 正倉院 』 |
奈良の東大寺にある門外不出の宝庫 聖武天皇の遺品がたくさんあったり、当時の技術を駆使した芸術品などがテンコ盛りのトコ 貴重なお宝が眠っているため、天皇の命令で「開けちゃいけません」ということになっていた。 が、ここに強引に開けた(開けさせた)男がいます それが織田信長 無理やり開けさせた挙句、蘭奢侍(<らんじゃたい)というお宝を持って帰っちゃった。 |
『 生類憐みの令 』 |
徳川幕府五代将軍綱吉が出した「人間よりお犬様を大事にしろ!」という法律 どうやら綱吉は、自分に子供が生まれないことに悩んでおり、大好きなママに相談。 するとママは、信頼する占い師(坊さん)に話すと、その坊さんが 「前世で生き物を殺しまくったからです。綱吉殿は戌年なので、犬を大事にしなさい」と言った おかげで犬は人間より偉くなり、犬を叩いたりしただけで島流しに それでも子供が生まれないので生類憐みの令はヒートアップ 魚・鳥などももちろん「蚊」を殺した人までもが捕まるように これだけやったのに、綱吉には子供が生まれなかった |
『 七難八苦 』 |
戦国時代、尼子家家臣の山中鹿之助が、お兄ちゃんからとってもカッコイイ鎧兜をプレゼントされました♪ あまりの嬉しさに鹿之助は、三日月に向かって 「我に七難八苦を与えたまえ!!」と、叫んじゃいました カミサマはソノ願いを聞き入れ、本当に七難八苦を与えまくりました |
『 十七条憲法 』 |
聖徳太子が604年に作ったといわれている法律 これまでの憲法とは違い、道徳っぽいことが多い ・和を大事にしなさい ・仏と僧を大事にしなさい ・天皇の命令には従いなさい ・欲は捨てなさい などなど、悪い政治をしちゃだめだよ!という感じで、仏教の影響を強く受けた天皇を中心とする国のあり方を強調したものとなりました。 が、この法律はホントに聖徳太子が作ったかどうかは不明 |
『 呪 詛 』 |
人を呪うこと 人の髪の毛を取ってどくろに入れたり、木製の人形を作って呪い殺そうとしたりすること 昔はこういう非科学的なのことが信じられてた ちなみに729年には呪詛禁止!という法律まで出た たぶん法律を作らなくても効き目はなかったであろうと思われる まぁ、気の持ちようである |
『 浄土真宗 』 |
親鸞(しんらん)が1224年(鎌倉時代)に広めた教え 浄土宗を広めた法然のとこに入門した親鸞 教えは「南無阿弥陀仏」と唱えればどんな人でも極楽にいけるもの ということで大人気に なる が、朝廷からそんな教えだめ!と言われ、法然も親鸞も追放されちゃった 親鸞は東国に行き、この教えを広めた ということで、浄土宗が発展したのが浄土真宗 だけど東国でもやっぱりNGだった なんせ「南無阿弥陀仏」と唱えれば、いっくら悪い奴でも極楽にいけるってもんなので、鎌倉幕府から禁止令が出るほど だけどやっぱ人気で、弟子たちがその教えを広めることとなった ちなみに、浄土真宗は戦国時代に度々起きる一向一揆の一向宗のモト。 ついでに言うと親鸞は僧は食べちゃいけないといわれていたお肉も大好き! さらにさらに、僧は女犯なのに結婚もしちゃった |
『 賤ヶ岳の七本槍 』 |
信長が本能寺の変で死んだ後、豊臣秀吉と柴田勝家の後継者争いがスタート で、賤ヶ岳の合戦が始まる このとき特に活躍した七人の武将のニックネームがこれ 加藤清正、福島正則、加藤嘉明、平野長泰、脇坂安治、糟屋武則、片桐且元 後に豊臣政権の中で重臣となるんだけど、なんだかんだで最終的にはほとんどが不幸の一途をたどる ちなみにホントは七本槍じゃなくて、九本槍 あと二人活躍した人がいたんだけど、死んじゃった |
『 儒 学 』 |
儒学とは孔子の思想を元にした学問 「主君は主君らしく。家臣は家臣らしく。それぞれの身分をわきまえ正しく生きれば世の中はまぁるくおさまるんだよ。」という教え 幕府の身分制度にピッタリだった |
『 辞世の句 』 |
死ぬ前に読む和歌のこと 今までの生き様を振り返る句で、しみじみする ハガクレ★カフェの歴史名言集に辞世の句を多く紹介してるので知りたい人はチェックしてみて |
『 陣 形 』 |
もともとは中国の名軍師「諸葛孔明」が作ったもの 有名なのは平安時代中期に学者さんが発表した「八陣の法」 魚鱗の陣や・雁行の陣・長蛇の陣などがあります プレステゲーム「信長の野望」をやると、詳しくなる |
『 陣触れ 』 |
じんぶれと読む 大名が出陣するぞ!と決めたときに、出陣日や集合場所なんかを知らせることを陣触れという ちなみに、この役目は誰がしてたのかはイマイチわかっていない ケド、かなり重要な役目 |
『 殿 軍 』 |
しんがりと読む 戦をしてて、逃げる時に一番後ろで戦い、前にいる軍を無事逃がす役目 ぶっちゃけ、一番危険 うまいこと殿軍を勤めたのは豊臣秀吉 信長を逃がすために必死で殿軍を務め、大成功して褒められた |
『 壬申の乱 』 |
672年に起きた古代史最大の乱 天智天皇(中大兄皇子)は、天皇の座を息子の大友皇子(おおともおうじ)に譲りたかったんだけど、天智天皇の弟である大海人皇子(おおあまのおうじ)も、天皇になりたかった 天智天皇が死ぬまでは大人しくしてた大海人皇子は、天智が死んだとたん兵をあげ大友皇子をやっつけちゃった そして大海人皇子は天武天皇になったのでした |
『 島原の乱 』 |
1637年10月に起きたキリスト教信者の反乱 天草四郎という16歳の美少年をリーダーにし、島原城にたてこもり幕府軍に対抗した が、食べるものがなくなり、島原城内は餓死者続出 とうとう知恵伊豆こと松平信網が出動し、動乱は終わった この乱で死んだ農民のおなかを裂くと、草しか入っていないという悲惨な状態だった ちなみに生き残ったのはただ一人 山田右衛門というクルスの絵を描いた絵描きのみ |
『 承久の乱 』 |
1221年に起きた朝廷VS鎌倉幕府のバトル 強気な後鳥羽天皇が「なんでオレラより幕府が偉そうにしてるわけぇ?むかつくなぁー。」と思っていたところにグッドニュースが! 鎌倉幕府三代将軍実朝(さねとも)が暗殺された 「もしかして今がチャンスなんじゃないのー?」と、後鳥羽天皇は兵を挙げることに 鎌倉幕府は「もうダメだー」と大パニック が、尼将軍北条政子が「あんたら落ち着きぃや!ここでビビってどうするんじゃ!また昔のように朝廷の犬になりたいんか!」と励ましたことによって武士たちはやる気マンマンに あまりの武士パワーにびっくりした天皇は「オレ知らない。何もやってないよ!秘書が・・・秘書が・・・」と今時の政治家みたいなことを言って逃れようとしたが、ダメだった 結果、天皇は讃岐に島流しになっちゃいました |
『 守護・地頭 』 |
1185年鎌倉時代に頼朝によって置かれた鎌倉幕府直轄の警察官 はっきり言うと、大嫌いな義経をとっ捕まえるために作った 守護・地頭は日本全国に置かれ、幕府の権力は全国レベルで広がり、時の朝廷実力者・後白河法皇は嘆いた でも、自分(後白河)のまいた種による |
『 鹿ケ谷の陰謀 』 |
1177年 この頃は平清盛率いる「平氏」の天下だった 平氏じゃない奴は人間じゃないぜ!とまで言われるようになり、 ムカついた反・平氏チームが「平氏やっつけようぜ!」とヒソヒソとなにやら話し始めたクーデター未遂計画のこと 鹿ケ谷でクーデター計画を話しあってるところを密告され、計画に参加していた俊寛(しゅんかん)らは島流しとなった ちなみにこの計画を裏で糸を引いてたのは後白河法皇らしい |
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