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三河物語 三河武士 三方ヶ原の合戦 御台所 三行半 都落ち |
『 三河物語 』 |
徳川家命!で、徳川家に尽くしまくった大久保家は、泰平の世になってきたらウザイ存在になってきた 徳川にとって必要なのは「頭のいいヤツ」で「戦い屋」はいらなくなってきたから で、とうとう大久保家は失脚 大久保彦左衛門は悔しくて悔しくて、門外不出の「三河物語」にグチを暴露 内容は「大久保家はさ、徳川のためにゴハンも食べずに頑張ってきたのに、それを何だよ!使い捨てかよ!」 他には「今の世の中で出世する奴は、以前主君に背いておきながら舞い戻った奴。卑怯な振る舞いで人に笑われる奴。行儀作法が完璧で城内でうまく立ち回れる奴。ソロバン勘定が得意な奴らである。そして今の世の中で出世できないのは主君一筋で働いてきた者。手柄を多く立てた者。礼儀作法をわきまえない者。ソロバンが苦手な者。」 三河の小企業だった徳川のために、一体となって辛苦を共にしたものの、大企業となった徳川に捨てられた窓際族第一号の大久保家でありました |
『 三河武士 』 |
徳川家康を支えた武士たちのこと 「三河武士」といえば、忍耐強く、忠義に厚いというイメージがある なんせ家康が今川家の人質時代から絶えに耐え抜いてきた 豊臣秀吉はそんな三河武士を家来に持つ家康がめちゃくちゃ羨ましかった |
『 三方ヶ原の合戦 』 |
徳川家康VS武田信玄の戦い 信玄が調子に乗ってる織田信長をやっつけようと、京都に行くことを決意! そのストッパー役となった家康は、信玄に戦いを挑むもボロ負け 逃げる途中、恐怖でウンコをもらすほど 負けて呆然としてる自分の絵を描かせ、戒めとしました |
『 御台所 』 |
将軍の正室のこと 徳川幕府の御台所はけっこう悲しい存在だった 主に政略結婚につかわれていたので、権力はそこそこあってもダンナ(将軍)には嫌われるパターンがほとんど |
『 三行半 』 |
江戸時代に離婚する時に必要な書類 といっても、この書類を出せるのは男だけ 男側が悪くても、奥さんと離婚したくなったら三行半を出せば離婚成立だった ちなみになぜ三行半かというと、「奥さんと離婚します。離婚後奥さんが再婚しても構わないよ」という内容の文字がちょーど三行と半分くらいだったから 男にとってはとっても便利なシステムだった |
『 都落ち 』 |
京都から去ること 日本では京都がずーっと政権を担っていたトコなので、都落ちってのは、政権を他の人に奪われた一族なんかが逃げるって時に使う言葉 都落ちしたいい例が平家 あと、源義経なんかも都落ちした |
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