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関 白 官 軍 家 紋 冠位十二階 歌舞伎 勘合貿易 看板娘 駕 籠 瓦 版 寛政の改革 改 元 桓武平氏 解体新書 ガドリング砲 家 訓 感 状 間 者 歓学院 勝鬨 勝絵 改 易 蜻蛉日記 刀 狩 川中島の合戦 加賀一向一揆 |
『 関 白 』 |
天皇をサポートする副社長みたいなもののこと 同義語に「摂政(せっしょう)」 今まで摂政というのは天皇が女性かチビッコの時だけ置かれていた役職 関白を作った天皇は宇多天皇って人なんだけど、この人は権力者・藤原基経のおかげで天皇の座をゲットできた 宇多天皇は「基経を摂政にしてあげたい」と思うんだけど、自分は成人なので、「じゃあ同じような役職で、名前は違うけど関白ってのを作ろうよ」ということに が、その後基経の方が宇多天皇よりエバってきたため、険悪ムードがでまくる |
『 官 軍 』 |
朝廷側の軍隊ということ どうやら日本人は昔から錦の御旗(天皇家の旗)には弱い 足利尊氏も錦の御旗をみた瞬間に戦力が萎えた 一番効果的な使い方をしたのは、幕末の薩長 孝明天皇に取り込み、幕府軍に対して「錦の御旗」を掲げた これに徳川幕府将軍の慶喜は「ワシが賊軍なんて! 」と大ショックを受け、幕府は負けちゃうのでした |
『 家 紋 』 |
昔からあったらしいが、代々受け継がれるようになったのは平安時代末期ごろから お偉いさんたちが自分の牛車や洋服にお好みの文様を付け始めたのが始まりで、そのうち「人とは違うカッコイイやつを!」と大流行 貴族だけのモノで、武士には家紋がなかったんだけど、敵と味方を区別するために武士もやりはじめた 戦国時代になると、目立たなきゃ!(目立つ活躍をして恩賞をもらうため、コレはオレだぜ!というのをアピールしなけりゃならない)というようになり、みんな必死でセンスのあるかっこいいやつを付け始めるように 有名な家紋は天皇家の「桐紋」や徳川家の「葵の紋」水戸黄門に出てくるやつです |
『 冠位十二階 』 |
聖徳太子が作った身分制度 「身分に関係なく、頑張った人には出世させてあげますからね!」 というもの。 頭にかぶる帽子を12色に色分けしたので、一目見ただけで 「おっ!あいつは帽子の色が紫だからお偉いさんだな」というのが すぐにわかるという、めちゃくちゃ差別しやすい制度 ちなみにこの制度のおかげで出世できたのは小野妹子 |
『 歌舞伎 』 |
出雲阿国が元祖 最初は女性が男性役をやってました。 しかもストリップ。 そのうち風紀上よくないってことで、禁止となってしまいました 今はお堅い日本芸能の歌舞伎も、女性がはじめたストリップショーだったのでした |
『 勘合貿易 』 |
室町時代の三代将軍足利義満が行った日本と中国の明との間でつかった貿易システム この頃は「倭寇(わこう)」という海賊が海でハバをきかせてた 困った幕府&中国の明は「本字勘合」と書いてある木の札を半分にして、幕府が認定した貿易船のみがそれを持てるということにした つまりこの木札の半分を持ってる船が正式な貿易船 これによって幕府はバブリーに♪ が、義満の死後「パパなんか大嫌い!パパが作ったシステムなんてぶっ壊してやるぅ!」という四代目将軍の義持によって壊された おかげで幕府はまたも貧乏に・・・ |
『 看板娘 』 |
江戸時代の喫茶店のお手伝いをしてる娘さん 笠森お仙という素人娘が看板娘のトップスターだった お仙のいた「鍵屋」はお仙みたさに大繁盛し、これに目をつけたほかの喫茶店も「看板娘」を出し始めた ちなみに看板娘は13歳から18歳くらい。20歳で引退しなきゃならない。 あまりにも看板娘が流行したため、江戸幕府に「これからは13歳以下の娘かrか40歳以上の年増にしろ」という命令がでた |
『 駕 籠 』 |
江戸時代のタクシー 男性にしかできないお仕事だった。 というのも、お客さんの荷物は一切盗んでませんよというボディチェックがあったため、丸裸にならないといけないから。 ちなみに今と違って、お客さんを降ろすことも多かった 中に乗る人にもコツがあり、それが下手だと「降りろ!」ということになる |
『 瓦 版 』 |
江戸時代のゴシップネタ中心に配られる新聞みたいなもの。 江戸庶民たちの情報源として大活躍した。 中には東スポ顔負けの情報もあった |
『 寛政の改革 』 |
江戸時代の1787年から、時の老中・松平定信(暴れん坊将軍・吉宗の孫)が行った政治改革のこと 前の老中・田沼意次が大嫌いだった新老中・松平定信は 「あいつの賄賂だらけのだらしねー政治をこの俺様が全てキレーに してやるぜ!」と張り切ったものの、クリーンすぎて江戸庶民に 嫌われまくって失敗に終わった |
『 改 元 』 |
元号を替えること 平成とか昭和とか 初めて改元が行われたのは650年2月9日 大化から白雉に代わった 今は天皇が亡くなると改元するが、平安時代は大きな災害や異変が あるたびに改元しまくっていた |
『 桓武平氏 』 |
桓武天皇の息子の長男が、皇族から家来の家に下げられた その時の名前が「平」 これが平氏の始まり |
『 解体新書 』 |
ドイツ人医学者クルムスが書いた本をオランダ語で訳したのが「ターヘル・アナトミア」 これを日本の杉田玄白や前野良沢らが訳して完成させたのが「解体新書」 といってもオランダ語がわかる人がほとんどおらず、四苦八苦しながらやっとこさ完成させた 処刑所へ行き、処刑された人を解剖して、本の図と照らし合わせたりなどかなり頑張った ちなみに個人的に気になるのは、処刑されて解剖されたとい う人は女性で、どうやら18歳未満 いったいこの年で何をしでかして処刑されたのだろうか? |
『 ガドリング砲 』 |
アメリカのガトリングが発明した機門砲 アメリカ南北戦争で使われ、その後世界中に広まった 1分間に150〜200発の銃弾が発射される 幕末にの日本にとって脅威の新兵器となった 使った人で有名なのは長岡藩の河合継之助 新政府軍をてんてこまいさせた |
『 家 訓 』 |
その家の法律のこと プライベートな部分までアレコレ指図してた 主な家訓をピックアップすると・・・ 武田信玄・・・戦場で死にたくないと思うな。そう思うと逆に死ぬぞ! 織田信長・・・何事も信長の言うとおりにしろ。信長の後姿も大事にしろ!信長に足を向けるな! 徳川家康・・・贅沢をするな。得意なことはやらなくていい。苦手なものを努力しろ。人を憎むな。敵を作るな。うがいした後の水は飲め。 上杉謙信・・・すべて「心に〜」から始まる16項目で、「心に曇りなきときは心は静かなり」「心におごりなきときは人を敬う」などなど 北条早雲・・・他人の意見をよく聞け。ウソを言うな。具合が悪くても髪の毛をきちんとしろ。朝は4時起き・夜は8時に寝ろ 吉川元春・・・流行ファッションは禁止。奥さんを大事にしなさい。妻は夫の勝手によって離婚されたら慰謝料は好き案だけ貰いなさい。 などなど。ユニークなのもあっておもしろい |
『 感 状 』 |
かんじょう 大将からもらう感謝状のこと クビになって、次のトコへ雇ってもらう時に見せると効果的 感情をもらうくらいグッジョブをしましたよってことになるから 履歴書のようなもんでもある ちなみに感状をもらうのを断ったのは家康の家臣・鳥居元忠 他の武将に仕える気はないから、感状はいらぬと言った |
『 間 者 』 |
かんじゃ スパイのこと 忍者も間者みたいなもん |
『 歓学院 』 |
かんがくいんと読む 藤原冬嗣は天皇の血を引いた「源氏姓」を意識しまくってた。 このままだと「藤原氏」よりも「源氏」が偉くなっていくかもしれない・・・そう考えた冬嗣は 821年に「歓学院」という藤原一族のためだけのエリート養成学校を作った ちなみに「学校」とは入学が13歳から16歳で、誰でも入れるというわけじゃなかった。 入学資格があって五位以上の人の子孫じゃなきゃダメとか 内容も勉強を教えてもらうというより、ただひたすら「暗記」 |
『 勝鬨 』 |
かちどきと読む 勝ち戦の時に、「えい!えい!おう!」とさけぶもの 戦に行く前とか、三献の儀式のあとに行う場合もある まぁとにかく「えいえいえおー!」のこと そのやりとりが鯨の鳴き声ににてるとも言われている 主君が「えい!えい」と言い、家来たちが「おう!」と言う |
『 勝絵 』 |
かちえと読む 戦国時代のエロ本のこと 雑兵なんかが、具足とかにこっそり入れて持ってきた春画(エロ本) |
『 改 易 』 |
かいえき 所領を没収されること 武将にとって「家」は何よりも大事なので、改易はかなりつらい罰だった |
『 蜻蛉日記 』 |
974年ごろ、右大臣だった藤原道綱の母が書いた暴露本 どうやら夫の藤原兼家が浮気性(昔はみんなそう)だったため 道綱の母は悩みまくり、その苦悩を日記に書いて発表 出だしから「世の中に出版されてる物語はウソばっかよ!あたくしは本当のことを書いちゃうわよ!」とあり、ストーカーまがいのことや 相手の女のこと・兼家に対する恨みつらみを思いのままに書いた |
『 刀 狩 』 |
1588年に豊臣秀吉が「農民らに武器持たせてると 暴動起こされたら困るぜ!武器をとりあげちゃおうぜ!」 と言い出し、農民達の武器をとりあげたこと ちなみに「刀狩」は、秀吉のライバル柴田勝家が最初にやったもの |
『 川中島の合戦 』 |
1553年から1564年まで5回に渡って戦った武田信玄VS上杉謙信の戦い 一番有名なのは第四回目の川中島の戦い 謙信の「毘」と信玄の「風林火山」の旗がなびきまくった戦国時代に欠かせないバトル ちなみに勝敗はつかなかった。 豊臣秀吉によると「前半は信玄の勝ち。後半は謙信の勝ち。よって両者引き分けじゃー」となる |
『 加賀一向一揆 』 |
1488年 浄土真宗の信者達が権力者に嫌気がさして暴れだした日本史上もっともすごい暴動 「死んだら極楽にいける」が一向一揆衆のテーマだったので、 死ぬのを恐れずガンガンと暴れた さすがに鎮圧させるほうも、マインドコントロールされ、死を恐れず立ち向かってくる集団には勝てず、加賀の国は1488年から約100年間「浄土真宗の国」となる ちなみに戦国大名もこの「浄土真宗信者」にはかなり手を焼いた 最後ブチ負かしたのは織田信長 |
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