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赤備え 尼将軍 敦盛 安土城 ありんす言葉 足利学校 安 堵 足 軽 青田刈 安政の大獄 赤穂浪士 姉川の合戦 |
『 赤備え 』 |
武田信玄家臣の山形昌景(やまがたまさかげ)が、自分の兵のアピール度を高めるために、武具を全て赤にしたので「赤備え」 山形率いる「赤備え」は精鋭部隊でめちゃくちゃ強く、徳川家康は三方が原の戦いの時にこの「赤備え」に強烈なインパクトを与えられた のちに武田家が滅亡した時、このモト赤備え軍団をスカウトしまくり そして集めた精鋭部隊を井伊直政(いいなおまさ)に与えた 井伊直政の「井伊の赤備え」も戦国時代とっても恐れられる ちなみに真田幸村も武具を赤備えにした |
『 尼将軍 』 |
尼将軍とは、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の妻・北条政子のこと 頼朝亡き後、後鳥羽天皇にやっつけられそうになった幕府 武士達は「どうじようぅぅ」と大パニック! そこで政子が「怖気づいてんじゃないわよ!あんた達、昔みたいにお偉いさんにこき使われるようになりたいの?嫌だったら戦いなさい!ぐずぐず言ってんじゃないわヨ!」と大演説! 武士達は「政子サマの言うとおりだぁ!」と奮い立ち、朝廷軍に勝利したのでした |
『 敦盛 』 |
信長が大好きだった幸若舞のタイトル 桶狭間の合戦に行く前に、ボルテージをあげるため3回ほど舞いまくった 敦盛のモデルは、平氏の平敦盛という美少年 熊谷直実(くまがいなおざね)とのやりとりが有名 |
『安土城』 |
織田信長が天下人としての象徴として作った城 守るには理想的なスポットにあった 築城を命じられたのは丹羽長秀 今までにない斬新なアイディアを取り入れまくった豪華絢爛なお城だった が、信長が殺されると、焼かれてしまう どうやら焼いたのは息子という噂・・・。 |
『 ありんす言葉 』 |
吉原の遊女たちが使う言葉 遊女たちは色んな地方からの女性が多かったので、言葉がばらばら ということで、「ありんす」を最後につけるようになった 「おまえさんが好きでありんす♪」とかね |
『 足利学校 』 |
鎌倉時代に足利家が自分の家の子供を勉強させるために作った学校 戦国時代になると「軍人養成学校」になりつつあった 武田信玄はこの学校の出身者を多く採用しました |
『 安 堵 』 |
あんどと読む 戦国時代とか江戸時代によく使われた言葉 土地や所領を安堵しますよ〜ってことは、その土地はアンタのものってのを保障しますよってこと |
『 足 軽 』 |
あしがると読む 歩く兵のことで、下っ端 戦が始まると、農民なんかが足軽になる |
『 青田刈 』 |
あおたがりと読む 敵の所領にある田んぼや稲を刈っちゃって、敵を戦意喪失させるって作戦 兵には農民が多いのでダメージがでかかった とてもやってほしくない戦法 |
『 安政の大獄 』 |
1858年頃に、時の大老「井伊直弼」が、江戸幕府に逆らう生意気なヤツラを処刑しまくったり、リストラしまくったこと 吉田松陰(よしだしょういん)・橋本佐内(はしもとさない)などが殺され、徳川斉昭(とくがわなりあき)など水戸藩はボロボロにされた これは恨みを買いまくり、井伊直弼も桜田門外で殺されることに |
『赤穂浪士』 |
1702年に起きた事件 播磨藩主の浅野長矩が、松の廊下で吉良上野介義央を斬りつけ死刑となった。 長矩の家臣・大石内蔵助ら47人が、主君の仇!と、吉良邸を襲い、義央を討った。 今では「忠臣蔵」として、年末にテレビで放送される |
『 姉川の合戦 』 |
1570年に勃発した信長・家康VS浅井・朝倉の戦い 浅井当主の長政は、信長の妹・お市の方のダンナ ついでに浅井家・朝倉家は昔から大の仲良しだった でも信長は朝倉がめちゃくちゃうざかったで、長政にナイショで朝倉をやっつけようとした。 これにビックリした長政は「義理の兄を取るか、昔から仲良しの朝倉を取るか・・・」と悩み、朝倉を選んだ 信長は長政を可愛がってたため超激怒!! 攻めに攻めまくり、この姉川の合戦では大勝利 その後もねちっこく浅井・朝倉を攻め続け、姉川の戦いから3年後浅井家は滅亡しました |
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